8/4 「詩の遠足」原爆の図 丸木美術館に行ってきました

連日の酷暑ですが、8月4日は詩のワークショップ番外編、詩の遠足で、
埼玉県東松山市にある「原爆の図 丸木美術館」へ行ってきました。

この美術館は名前のとおり、《原爆の図》の連作で有名な
丸木位里・丸木俊という画家であり夫婦であった二人の、
アトリエ兼住居跡に建てられた施設です。
全15部の《原爆の図》がすべて展示されているほか、
晩年の、南京大虐殺やアウシュビッツ、水俣病を主題とした大作も
あわせて観ることができます。

建物は都幾川のほとりにあります。
こんな猛暑でも、木陰に吹き込む風が涼しく感じられたのは、
周辺の豊かな緑と、広い土の地面のおかげでしょう。
全人生を捧げて《原爆の図》を描いた二人の画家が、
なぜこの土地を住処としたのかが、ほんの少しわかるような気がしました。

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(右端はボランティアガイドの小高さん。わかりやすく丁寧に解説いただきました)
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《原爆の図》を直視することは、けっして容易なことではありません。
原爆投下の瞬間を写真や映像に収めることは、誰にもできなかった。
物理的な条件だけでなく、そうできる鉄のような精神をもつ人間がいたとは
到底おもえません。
人間が人間でない死に方をしていく、それも膨大な数の、
人間のみならず、動物も、植物も、地上にある数多の生きものが、
人間の作ったものによって、いのちを失ってしまうこと。
この事実を、目を逸らさずに受け止めるには、
大きな、大きな勇気がいります。

丸木位里・丸木俊という二人の画家は、彼らの生涯をかけて、
原爆投下のつらく悲しい現実へ向きあうことに、挑んできたのです。
画家にとって絵を描くことは「よろこび」であるはずです。
絵筆を動かしている時間は、たのしい気持ちでもあったでしょう。
しかし画中の、被爆した一人ひとりの人間を、わが事として感じなければ、
とてもあんな絵は描けません。
そこに渦巻くさまざまな情感や精神の葛藤、
引き裂かれそうになる自分自身の矛盾、そしてその混沌こそが
《原爆の図》には描かれているのかもしれません。
「悲惨」「脅威」「悪」だとか、
「美しさ」「哀れみ」「慈愛」だとか、
簡単に一語で言い切れるはずがない、生きていることの奇蹟を
総体として受け止めていく行為が、芸術というのではないか……
そんなことを考えました。

企画展として開催中の「紙芝居ができた!」では、
詩人のアーサー・ビナードさんが《原爆の図》をもとに作った
新作紙芝居と、その制作過程を観ることができます。
7年の歳月をかけて完成した『ちっちゃいこえ』。
丸木位里・丸木俊の意思を受け継いだ、すばらしい紙芝居です。
小さい子どもだからこそ、ほんとうのことを見てほしい。
体裁や手前の利益を目的として、
ハリボテで隠したり、薄っぺらい美学を教えるのではなく、
人間のこわさも、生きることの苦難も、いのちの残酷さも、
ちゃんと受け止めて、
ちゃんと泣いて、ちゃんと笑える人になってほしい。
詩人のそんな想いが感じられる内容でした。

*
今日は8月6日、広島に原爆が投下されたその日です。
1945年から74年もの年月が過ぎましたが、
受け渡していけるものは、まだまだたくさんあるはずです。

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(丸木美術館ひろしま忌では、都幾川にとうろうを流すそうです。
暑いなか、スタッフの方がとうろう作りをされていました)
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(美術館のショップではこんなかわいいポストカードが売っていました。
「原爆の図保存基金」に寄付されるそうなので、ぜひご購入を!)

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